ラフマニノフのスケルツォ
2010-03-31(Wed)
もうすぐ、あとほんの数時間で3月が終わる。
春爛漫になる前に、この曲の思い出を語ってしまおう。
ラフマニノフの 『交響曲第2番 第2楽章 スケルツォ』。
もう10年以上前の話。
当時の私は、電子オルガンで弾き映えのする曲をあれこれ探していた。
そして出会ったのがこの曲だった。
季節はちょうど、2月の下旬だったと思う。
冬の冷たさを残しながらも雪が解けて
雪解け水が流れていくそばから、あちこちの雪の下に花々が顔を覗かせるような曲。
色で言えば、白と金がメインで、所々に紫が混じる、
そんな色彩を感じた。
白は雪か、でなければスノードロップの花の色
金はフクジュソウ
紫は・・・クロッカス?
全部クロッカスでもいいかな、大ざっぱだけど。
(もっとも、ロシアに野生のクロッカスがあるかどうかは知らない)
その前に手がけたのが、
ショスターコヴィチの凄みを帯びた美しさの
黒と金と、艶めく濃茶色を思わせる曲だったので、
余計季節感のコントラストを感じたのかも知れない。
ラフマニノフは、(通俗的なまでの)ロマンチックなメロディーで知られているけれど、
中間部のフーガの部分は、ちょっと宗教的というか
これまたラフマニノフのロシア正教っぽさが表れていて、
この部分をアレンジで割愛したくなかった。
そしてそのフーガが変形していき、
曲の冒頭部が再現される部分では、そのままバックに流れているという処理は、
いかにも、ある音型を生かして使っていくクラシックの作曲技法、
という感じで好きだった。
オーケストラのこの立体感を、一人の演奏で表現するというのは、
本当に至難の技だった。
結局アレンジには苦労して、未完のままで終わってしまった。
(その後、私は思うところがあって
それまでレッスンを受けていた師の元を離れ、
ピアノ一本に戻っていくのだが)
2月・3月にかけては思い出す曲なのだけれど、
まだ4月のはじめの、早春の感じが抜けきれない頃までなら
季節にマッチして聞けるかも知れないので、
ご興味のある方は聞いてみてね。
・・・という訳で、今回は駆け込みアップの記事でした。
ではまた
春爛漫になる前に、この曲の思い出を語ってしまおう。
ラフマニノフの 『交響曲第2番 第2楽章 スケルツォ』。
もう10年以上前の話。
当時の私は、電子オルガンで弾き映えのする曲をあれこれ探していた。
そして出会ったのがこの曲だった。
季節はちょうど、2月の下旬だったと思う。
冬の冷たさを残しながらも雪が解けて
雪解け水が流れていくそばから、あちこちの雪の下に花々が顔を覗かせるような曲。
色で言えば、白と金がメインで、所々に紫が混じる、
そんな色彩を感じた。
白は雪か、でなければスノードロップの花の色
金はフクジュソウ
紫は・・・クロッカス?
全部クロッカスでもいいかな、大ざっぱだけど。
(もっとも、ロシアに野生のクロッカスがあるかどうかは知らない)
その前に手がけたのが、
ショスターコヴィチの凄みを帯びた美しさの
黒と金と、艶めく濃茶色を思わせる曲だったので、
余計季節感のコントラストを感じたのかも知れない。
ラフマニノフは、(通俗的なまでの)ロマンチックなメロディーで知られているけれど、
中間部のフーガの部分は、ちょっと宗教的というか
これまたラフマニノフのロシア正教っぽさが表れていて、
この部分をアレンジで割愛したくなかった。
そしてそのフーガが変形していき、
曲の冒頭部が再現される部分では、そのままバックに流れているという処理は、
いかにも、ある音型を生かして使っていくクラシックの作曲技法、
という感じで好きだった。
オーケストラのこの立体感を、一人の演奏で表現するというのは、
本当に至難の技だった。
結局アレンジには苦労して、未完のままで終わってしまった。
(その後、私は思うところがあって
それまでレッスンを受けていた師の元を離れ、
ピアノ一本に戻っていくのだが)
2月・3月にかけては思い出す曲なのだけれど、
まだ4月のはじめの、早春の感じが抜けきれない頃までなら
季節にマッチして聞けるかも知れないので、
ご興味のある方は聞いてみてね。
・・・という訳で、今回は駆け込みアップの記事でした。
ではまた
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